2011年04月22日

警戒区域によって難民多数!

火山災害など人智ではどうしようもない災害ならいざ知らず、
人為的怠慢がそもそもの原因である原発事故で「警戒区域」なんてものが設定された。
しかも半径20kmである。
Googleマップでも何でもいい、自分が住んでる地域の地図に半径20kmの円を重ねてみて欲しい。
あまりに広大な面積であることに絶句すると思う。

その広大な面積の中で日々の生活を行っていた人々が、無理やり追い出されたわけだ。
難民の発生である。

仕事もなくなる。家畜も死ぬ。ペットも放置だ。
生活基盤の全てがパァだ。
恐らくあの地域の復興は、現状を見れば極めて厳しいと思う。

しかし滅茶苦茶な話だと思わないか?
繰り返すけれど、天災じゃないぞ。「怠慢による人災」だぞ。

そんな中、私は物凄い違和感を覚えている。
これほど甚大な災厄をもたらした原因企業である東電に、
後手後手の対応で全てをダメにしている民主党政府に、
嘘で塗り固めたエネルギー政策のプロパガンダを展開し続けた自民党に、
どうして日本国民はその怒りを沸騰させないのだろう?
どこか他人事じゃないか?
福島県内での遠い出来事というイメージなのだろうか?
多少の心配はするけれど、強い怒りを感じる話じゃないのだろうか?

いや私は、同じ日本国民が危急存亡の正真正銘まさしく「危機」に瀕していることに、強い同情と猛烈な怒りを禁じえない。
そして一部喧伝されている「福島県民に対する謂れ無き差別」が本当にあるのだとしたら、
それは戦後道徳教育の完全失敗の証明であるが、同時に、愚劣な国民が存在することに強い悲しみを覚える。

150年前まで日本は本質的にバラバラの国であった。
多数の藩が其々独立した国であり、云わば緩やかな連合国家と云える。
長きに渡ったバラバラ感が日本人のDNAに刷り込まれているのは何となく想像が出来る。
だから異なる地域の出来事は「異国の話」みたく感じるのだろう。小さな国土なのに。

150年前。長州・薩摩・土佐の諸兵たちは、会津の人々を老若男女構わずなぶり殺しにした。
路傍に横たわる屍を埋葬することすら許さなかった。
人道に反する許されざる暴挙である。まるでフツ族とツチ族の殺し合いである。
そんなことが出来たのは恐らく言葉がまともに通じなかったからであろう。
共通語なんか無い時代である。同胞なんて感覚は欠片も無かった。
最上級武士は共通言語を持っていたが、下級武士は方言しか知らない。
訛りの強い地方同士じゃ異文化かつ異邦人同然だったのは想像するに難くない。

さて150年経った。
福島で起きていることは福島のこと‥??
おいおい思考に進歩がないぞ日本人。
日本で起きていることだろ日本で!

明治の先人がどれだけ苦労して共通語を作っていった?
その恩恵にあずかり、日本国民の大多数が例えばアナウンサーが話す共通語を理解できるようになったわけだろ。
多少の訛りはあっても共通語だ。福島県民の言葉は理解できるだろ。
同胞なんだよ福島の人達は。


fukushima_cap.jpg
私たちが作ったこの映像‥よかったらリンク先で見て欲しい。
そしてコメント欄を読んで欲しい。
想像を絶する辛い状況に置かれているにも関らず「福島は負けない」という声が並んでいる。
読む度に涙がこぼれて困る。

この難局に際しても、相変わらず民主党政府の馬鹿共は「言い訳」と「ごまかし」に御執心である。
災害対策の鉄則である「先制」「集中」「最大限」は全て反故にされた。
断ずる。彼らには何も出来ない。
断ずる。彼らが司令塔である限り、事態は悪化するばかりである。

北は北海道から、南は沖縄まで‥今は国民の怒りが必要な局面である。
それが出来ないのなら、日本は国としての体を成していない。
米国か中国の属国になったほうが良い。
posted by 榎田信衛門 at 11:08| Comment(0) | 008雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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