2010年04月13日

ラジオに何を求めるか?

経費削減で局アナ偏重傾向が強まっているそうな。

ディレクターが居て、
作家が居て、
その前に整然とした企画意図があって、
プロデューサーがその監督責任を正しく履行する組織であれば、
むしろ局アナによる構成番組の羅列はラジオにとって健康的なのかもしれない。

突然変異やゲリラ性を完全に排除したカッチリしたラジオ。
それはそれでいいんじゃない?

しかし現実には違う。
身分が保証されているけれど組織の論理で自己を埋没させたディレクターやプロデューサーがいて‥
身分が保証されない代わりに身分保証階級の顔色を伺うフリーランスのスタッフがいて‥
自分の言葉で危険を冒すことを徹底的に忌避しようとする局アナがいて‥

結局カッチリしたラジオすら成立しない。
テンプレートにハマった類型の典型のオンパレード。
毒にも薬にも清涼飲料にもならないラジオが作られていく。


いたずら心がいつまでも消えない馬鹿な役員や‥
壊すのなら徹底的に壊せと命ずる気合の入ったプロデューサーや‥
辞めたって俺の腕なら食っていけると嘯くディレクターや‥
アナウンサーの顔と不良の顔を使い分けるアナウンサーや‥
責任は正社員にとってもらえと豪語する一騎当千のフリーランスや‥

そういう百鬼夜行にとって、テレビと違って「即座に技量を発揮できるプロフェッショナルな仕事場」であり、
ある意味「ささやかな遊び場」であったラジオという現場は多分もう無い。


(追記)
あまりに絶望的な内容なので追記しておきましょう‥笑。

もちろん例外があろう。
‥て云うか無ければ余りに淋しい。
若い制作者たち。頑張れ。


posted by 榎田信衛門 at 02:13| Comment(0) | 008雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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